広島県の高校入試について学習塾教師の立場から解析してみようというシリーズの第2回です。
前回は過去10年の公立高校入試(選抜Ⅱ)の平均点の推移から、2つのポイントが発見できるというところまででした。今回はその考察です。
① 2016年から2018年にかけて、大きく平均点が下降している(=難化している)のはなぜか。
高大接続改革の柱の一つとして「大学入試センター試験の廃止、新テストの導入」が打ち出されたのは2015年のことでした。情報技術の進歩により、産業界をはじめとして地球規模での社会変革が進む中、これまでの知識偏重型の学校教育から、思考力・判断力・表現力を育成することや、学びに向かう力・人間性を育むことを重視する方向へと舵を切ったのです。この時期に発表された新学習指導要領でもそのことが明記されています。能動的な問題解決型学習=アクティブラーニングの手法が注目されたのもこのころです。さらにこの変革は新時代に即応できる人材を求める産業界からの要請も大きく作用した可能性も指摘されています。
そして実はこのことが広島県の高校入試にも大きな影響を与えたのではないかと考えています。2016年からの入試問題の難化は明らかに出題傾向の変化によるものでした。そしてそれは多くが「知識を単純に問うもの」から「知識をもとにして与えられた資料を読み取って論述するもの」だったからです。
もちろんそれまでも論述(記述)形式の出題はどの教科にも見られていましたが、その量が増え、さらに内容も深くなるなど、正解といえる解答を作成するにはかなりの能力と時間が求められるものでした。社会の平均点が大きく低下した2016年、入試初日を終えて教室に戻ってきたとき(広島県の公立高校選抜Ⅱは2日間に分けて実施され、例年社会は初日に予定されています)の生徒の第一声のほとんどが「社会が難しすぎた」だったことをいまだにはっきり覚えています。
問題の詳細に関しては実例を挙げて次回以降に詳しく述べていこうと思っていますが、個人的にはこの傾向は方向性として概ね間違っていないと思っています。「社会=暗記教科」というイメージは根強く、知識量が求められる教科であることは否定できません。ただし「江戸幕府を開いたのは徳川家康」「大化の改新は645年」とひたすら知識のみを頭に詰め込んでいくことが社会科の本質ではなく、また現代は手元にスマートフォンがあれば中学生で学ぶ内容は瞬時に手に入れられる時代です。それは知っていることそのものが武器だった時代から、知っていることをどう考察し、どう生かすか。そしてそれをどう表現するかが求められる時代であるということでもあります。
② その後再び平均点が上昇に転じているのはなぜか。
社会だけでなく、5教科全体でも2016年から始まった問題の難化は2017~2018年あたりがピークでした。この結果を見て問題を作成する広島県教育委員会は思考力・判断力・表現力を重視するという全体的な方針は堅持しつつ、感覚的には出題内容をやや緩めのものを増やしたという気がしています。大学入試改革が当初の計画からやや軌道修正を余儀なくされ、時間の経過とともに発表時に感じたドラスティックな印象が薄れていったのと軌を一にしているとも感じますが、理想と現実の狭間でソフトランディングさせた結果だともいえるかもしれません。一方で正しく努力した生徒が正しく評価されるという意味ではよりよい結果だとも思えます。
また別の見方をすれば、問題内容の難化から数年を経たことで中学校や学習塾での入試問題の分析が進み、対策を講じやすくなったという側面もあります。少なくとも、同傾向の問題演習を多く積んで入試当日に臨むことができるようになったという点だけでも、数年前の生徒と比較して心理的にも落ち着いて入試に挑めるようになったということは確実にいえると思います。
さて、長くなったので今回はここまで。次回は社会の問題の実例から考察を進めます。
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